はてなブログ様、googleアナリティクスが設置できません(涙)
この、つたないブログを読んでくださる方々、ありがとうございます。
スターまで付けていただいて、ホントに感謝です。
アフェリエイトをする気はありませんが、来ていただける人が増えるのは、うれしいことなので、少しはSEOとか考えたほうがいいのかなと思い、とりあえず、googleアナリティクスに挑戦しようと考えました。
努力しました。がんばったんです。
わたし、どこでミスったんでしょうか?
そもそも、はてなブログさんの導入説明画像と、サイトのわたしが進むべき画像が違うのです。
これ、デジタルシニアが苦手なポイントです。
感覚的にやっつけることは不可能だし、本質を理解してるわけじゃありません。
だから、教科書通りならわかるけど、応用問題はできないんです。
なんか、選ぶこと一杯あって、どこかで設定を間違ったのかなぁ~。
はてなブログさんが必要としている「トラッキングID」というのが出てこない。
なので、物知りな方々に教えていただこうと、ネットをウロウロしてみた結果、なにやらgoogleアナリティクスがバージョンアップしたらしいと判明。
それで、違う画面、わからない言葉だらけなんですね。うーー。
アップデート後の質問者に「ユニバーサルアナリティクスプロパティ」にあるから捜してと返答してるんだけど、そのプロパティもどこにあるか、わからない~。
今のバージョンで必要な「測定ID」というのはわかるんです。
ところが、はてなブログさんにそれを設置してもダメなんだそうです。
「あかん。もう無理やわ」
はてなブログに新バージョンを設定する方法を、あれこれ教えてくれてるサイトもあるんですけど、ちょっと限界超えてます。はぁ~。
どなたか、迷子のわたしをお救いください。
しばらく時間をおいて、気力をためて、再挑戦するつもりではありますが・・・
願わくば、はてなブログ様に、
新バージョンに対応したコピペ入力画面を、早急に作っていただけたらと、大きな期待を寄せています。
よろしくお願い致します。
デジタル庁発足式があったので、デジタルシニアを考えてみる
デジタルシニアとは、インターネットを通じたコミュニケーションの能力が高い高齢者のことだそうです。スマホやパソコンなどのデジタル機器を使いこなせるシニア、ということですね。
箇条書き機能の練習をしてみようと使っていますが、内容的には必要ないじゃん!と思われるはずです。あしからず。
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デジタルネイティブはアナログシニア言語を理解できない
実例ですが、まだスマホは無かった時代なので、すいぶん前のことです。その頃60歳後半だった叔母に、携帯の使い方で分からないことを教えて欲しいと頼まれました。わたしは自分の携帯操作はできるけど、他人の携帯の操作方法なんかわからないので(わたしの)息子に尋ねてくれと返答しました。しばらく二人でごちゃごちゃ話した後、息子がわたしのそばにきて「何が解らないと言っているのか、まったく解らない」とため息まじりに訴えてきました。
感覚で使いこなせるデジタルネイティブには、アナログ人間が絞り出す言葉が的から外れすぎていて、ほんとに理解できないみたいです。
仕方ないので、わたしが通訳しました(笑)
「なにがしたいん?」「こういうことなんやけど…」それから息子に尋ねます。「〇〇が出来るのはどこに入ってる?」「ここ入って、ここにあるよ」
わたしが理解したことを叔母に説明し、操作できるようになってもらうのも、なかなか大変でした。
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何歳でデジタルと接点をもてたかが鍵になる
デジタルを使いこなせるシニアが増えてきたと言われています。統計的にも、確かに増えています。今までデジタルに触れる機会がなかったシニアが、勉強して能力を身につけていったのでしょうか。そういう方もおられますが、ごく一部だと思います。ただ単に、もともとデジタルを使いこなせる世代が年をとってシニアの仲間入りをし、結果デジタルシニアの人数が増えていってるだけなんですよね。
今まで存在していなかった不可思議なものなんです。理解できなくて当たり前じゃありませんか。65歳を過ぎてる出来ないシニアに「みんな頑張って習得しましょう」なんて言わないで欲しいです。
若い頃、せめて40代までにパソコンに触れる機会のなかった人は、本人の興味にまかせて欲しいです。スマホの写真動画LINEを使いこなしているのに、地図の見方を知らない人がいます。孫を見るのが目的なので、そのスマホの使い方で正解です。花を育て本を読む生活が好きだから、パソコンはいらないという人がいてもいいですよね。
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デジタルシニアには日々進化していくことが重荷になる
とにかく、進化が早すぎます。ネットの世界では、今日は正しいことが、数ケ月後には古い情報になっていたりします。操作性は確実に向上しているのですから、良いことなんでしょうけど、そんなに変わるな!と言いたくなります。
記憶力も落ち、理解力も落ち、視力も体力も落ちているシニアとしては、もう無理と思う時も出てきてしまいます。
今はデジタルシニアみたいな顔をしていますが、ついて行けなくなって、落ちこぼれのわたしになる気がします。
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デジタル庁さんに考えて欲しいこと
願わくば、SF映画の未来に一足飛びに行って欲しいです。
だって、もうすぐそこまで来ているんですよ。グーグルとかアレクサとか呼びかけると、結構いろいろな事をやってくれるんですよね? AIとお話だってできますよね? ひとり暮らしだと心配な、突然倒れたらに対応してくれるものもありますよね?
デジタルシニアから脱落したわたしも、助けてもらえそうです。
その未来を目指すのは、無理なのでしょうか。
「誰一人取り残さない、人に優しいデジタル化」とホームページにありました。
そのために高齢者全員にスマホが操作できるように教育しよう、なんて考えないで欲しいなと思います。スマホを買う生活力があるシニアで、スマホを使わない選択をしているのなら、それは尊重してあげるべきだと思います。
心配しなくても、これからデジタルシニアは加速度つけて増えていくのではないでしょうか。そして、アナログシニアを支えるのは、デジタルネイティブではなくて、デジタルシニアだと思います。
運転免許の更新ハガキが届いて、ネットで予約にはびっくりしましたが、ちゃんとネット環境がない人用の電話番号もありました。二重になってしばらくは大変ですよね。
でも、小手先だけのメディアの納得だけを狙わずに、目先ではなく先々を見て、進む道を探して欲しいなと思います。
わたしの「小公子」はすごいんです
10代後半くらいだったと思います。
ある日、本屋さんの中をぶらぶらしていて、ふと手に取った本。何だったのか憶えていませんが、雑誌かなにかで特集が組まれていたのだと思います。
そこに掲載されているイラストのいくつかを見て、わたしは(心の中で)叫びました。
「この絵を描いているひと、小公子の挿絵を描いている人だ!」
名前を憶えて、家に帰って本棚に直行しました。
「やっぱし、この人や!」
その名前は『いわさき ちひろ』
わたしの中で生きているセドリックは、ちひろさんが描かれた姿なんです。
だから、カルピスの名作劇場でアニメを観た時は「ちがう~」と思って、1,2回しかみていません(笑)
柔らかく温かく、儚げなだったり時にはユーモアも含んでいて、ちひろさんの挿絵はほんとうに『小公子』にぴったりなんです。
今も手元に置いています。
たぶん著作権とか色々あると思うので、勝手に写真のせたりできないのが残念です。
いわさきちひろ画集はたくさん出ていて、色々見ていますが、このセドリックに出会ったことがありません。版権の問題とかあるのかも知れませんね。
とにかく挿絵『いわさき ちひろ』の本なんです。
そのうえ、この本の翻訳者は、あの『川端 康成』なんです。
たぶん、これも10代後半のことだと思うのですが、いかにノーベル賞作家といえど、英語の力はどうだったんだろう? と疑問に思ったことがありました。ネットなどない時代ですから、よくわからないけど児童文学に造詣があり尽力していた人だということを知りました。
この文を書くために、あらためてネットで調べてみると、野上彰さんと組んでかなり翻訳をしておられます。この「小公子」にも野上彰氏の協力を得たという挨拶文が載っています。好んで少年少女の作文を読んだり、評を書いたりしておられたようですが、何より驚いたのは、少女小説と分類される話を書いておられることです。少し読むと、愛だとかS(同性愛っぽいこと)だとか、なんだか今でも通用しそうです。
そして、大人になったわたしは、翻訳は英語能力だけじゃない、と知っています。
原作を読みたいと、Project Gutenbergに(心の中で)お礼をいいながら、ダウンロードさせて頂きました。
ゆっくりゆっくり眺めているだけですが、F・H・バーネットは本当に上手いストーリーテラーですよね。わくわく、どきどき。でも、児童向けに書かれていて、子どもにも分かることに重点がおかれている感じがします。ちょっとまどろっこしいというか、これをシニアも読みやすい文に翻訳してもらえたらいいのにと思います。
大人向けに書かれた文を、子ども向けに翻訳するのは良いのだから、児童向けの文をシニア向けに翻訳しても良いことになりますよね?
いわさきちひろさんの挿絵が使えないのは残念ですが・・・
高齢者とシニアってイコールなんですか?
シニアにおすすめされている本って、どんなものがあるのかな~とネットをウロウロして気がついたんですが、「高齢者」でも「シニア」でも、検索結果にあまり変わりがないんです。
そうなんや?
わたしの頭の中では、あくまでも今の時点でですが、高齢者っていうと戦争前に生まれている人、シニアっていうと団塊の世代と漠然と分けて考えていました。
若いほど細かく選択肢があって、65歳以上は十把一絡げって、なんだか不思議に思いませんか? 人生100年の時代と言われているのに…
まあ、分けにくいのは事実ですよね。年齢より個人差の方が大きくなってしまうので、適当な言葉を探すのは無理な気もします。
会社に定年後もウロウロしている昭和27年生まれのおじさまが二人おられます。
Aおじさまは、最近までバイクに乗り、若い頃はディスコで踊りまくっていたと言い、洋楽の方が好きで、新しい映画でもアクション系の洋画などをよく観ています。料理をしたり、ドライブしたりと人生を楽しんでいるように見受けられます。
Bおじさまは、演歌しか歌えず、任侠映画しか観ておらず、ゴルフしか趣味がなく、妻がいないと何もわからない何もできないと認めておられます。60歳すぎた辺りから「もう年だから」という言いわけをしばしば口にします。困ってます(笑)
見かけはお二人ともナイスミドルなんですけどね。話をすると、ほんまに同い年なん?と疑うほど違うのです。身近な二名でこれだけ違うのですから、百人いたら百通りの生きて来た道があるということですよね。
年齢で分けるのはおかしいけど、アラウンド70とかなんとか、若い高齢者(?)を表す言葉はないのかなあと考えていました。
でも、シニアとひとくくりにされたとしても、それぞれ個人がわが道を探して、わが道を進んでいけたら、それでいいんじゃないかなと考えるようになりました。
道が見つからなくて止まってしまわないように、同じ道を探している人たちが助けあえたらいいなと思います。
団塊以後に生まれているわたしは、まだまだ若いつもりだし、シニア未満だけど、もうじき着実にシニアという世代に入ってしまいます・・・抵抗したるねん!
読書には集中力が必要なんです
息子が子どもだった頃、こんな会話をすることがありました。
「ごはん、まだぁ~?」
「ごめん。もうじき読み終わるから。そしたら用意するから。ちょっと待ってて」
だって、夢中になって読んでる本を、途中で投げ出したり出来ませんよね? それが、推理小説だったりしたら、なおさら止められません。事件を解決しなくちゃならないじゃないですか!?
こんな母親に育てられ、本を読むことが日常風景だった息子は、ちゃんと活字を読む人に成長しました。好きなジャンルが違うので、貸し借りはなかなか成立しませんが、椎名誠さんのエッセイなんかは二人とも気に入って、あれこれ話をしていました。
その息子が10代後半だったかな、相変わらず一心不乱に本を見つめているわたしに、感心したような声でかけた言葉があります。
「ようそんだけ集中して読めるなあ~」
「ちゃうし。ほん読むのに集中力なんかいらへんよ…?」
おもしろいことを言うなあと思ったので覚えています。
読書なんて、好きだから楽しいから没頭できるのであって、集中力なんていう能力は関係ないと考えていたのです。
でも、シニアになった母は謝ります。間違っていました。
読書には集中力が必要です。はい。
脳のキャパシティが少なくなっているんじゃないかなと思うんですが、どうでしょう? 本を読み続けていると、なんだか頭がフワフワしてくるというかポワポワしてくるというか、言葉が入ってこなくなるんです。
それと老眼ですよね。目がクチャクチャしてボワーっとしてくる。
このフワフワポワポワクチャクチャボワーを乗り越えて読書するためには、集中力が必要になってくるんです。ひょっとしたら、集中力が低下したから読むことが続けられなくなったと言えるのかもしれません。
わたしは今、まだ、新しい推理小説やエッセイを楽しんでいます。昔のようなスピードでは読めませんし、一冊読み終わらないと寝れない、なんてこともありませんが、まだ読めます。
でもそのうち、文庫本を辛く思う時が、必ずきます。
その時、読みたいのは「昔好きだった本」なんです。
あらすじも登場人物も分かっているので、フワフワ脳でも大丈夫なはずです。途中で寝てしまっても、なんの問題もありません。年齢を重ねたからこその新しい発見があるかも知れません。
ボワーっと目のために、少し大きめな字にするのは絶対です。
海外の児童書が多いのですが、大人も読める文に訳した本が欲しいのです。
でも、本屋さんでは見つからないので、自分で作れないのかと考えて、とりあえず、このブログを始めています。
望むところに行けるかどうか、わかりませんが、集中力で(?)がんばります。
老眼は読書の敵です。
わたしは活字中毒人間、でした。
過去形です・・・
どこかへ出かけるなら、まず本棚の前で、持って行く文庫本を物色します。必ず1冊はカバンの中に入っていないと落ち着きません。視野に入る文字は、とにかく読みます。だから、本を持たずに電車に乗ったりすると、ずーっと吊り広告を読むはめに陥ります。
あ、スマホなんてなかった時代の話です。念のため(笑)
子どもの頃から、お布団に潜り込んで、寝転んで本を読むのが、わたしの至福の時でした。普通の親は読書しなさいと怒るのでしょうが、うちの親は「また本ばっかり読んで!!」と怒っていました。誓って、マンガではなく活字の本を読んでいるのに、です。だから、掛布団の中に机のスタンドを持ち込んで、すっぽり隠れて本を読むという無謀なこともしてました。
今と違って、図書館さえ、あまり整っていなかったと思います。そういえばとググってみたら、わたしの育った市の図書館は1980年に開設だそうです。子どもの頃の記憶がないのも当然です。学校の図書館なんて、有名大作家さんの著書は並んでいるけれど…状態でした。
読書を重要視しない親と、とても本など買えない少ないお小遣いと、貧相な図書館。そんな条件の中で、本好きなわたしにできた習慣は、気に入った本を何度も読むということでした。ほんとに、何冊かの本は何度読んだか覚えていないほど、少し期間を空けては繰り返し繰り返し読んでいました。嫌々ではなく、それをとても楽しんでいました。
大人になって振り返ると、書物がわたしの中で血となり肉となるためには、この何度も同じ本を読むという行為が、とても重要だったと思います。
年間、何冊の本を読んだとかもすごいけど、数字に表れて競いやすいので、それを追い求めたりもするけれど、ちょっと待ってと言いたいです。特に子どもの間は、愛読書をつくるのも大事です。
幼児は同じ絵本を何度も何度も読んでもらいたがりますよね? 「またこれ!? 他にいっぱいあるでしょ?」って親はうんざりするけど、あれは大切なことなんだと感じます。
読書が好きだったのに、老眼になってメガネが必要になってからは、本に向き合う量がめっきり減ってしまいました。ほんとに、字を読もうとするたびにメガネ探さないといけないし、邪魔だから寝落ちとかできないし、すぐに目がショボショボしてくるし、読書をめんどくさいと思う自分になるなんて、考えたことなかったのに…。
そんなシニアのわたしに必要なのは、新しい本に出合うことでも、大量の本でもなく、親しめる本なんです。
幼児の絵本のように、何度も読みたい、抱きしめて寝たい愛読書が欲しいですよね?
ジバの本棚ってなんのこと?
海外ドラマ好きのわたしが、ジバという名前を耳にすると、真っ先に頭に浮かぶのは「NCIS~ネイビー」のジヴァ・ダヴィードです。
英語だと、BとVで違う音ですが、日本語耳のわたしには同じなので…(笑)
イスラエル出身という設定の彼女のおかげで、興味を持ったことが色々あります。
ダビデの星って何?
あっ、イスラエルの国旗にも描かれているんだ…
モサドって何?
結局、アメリカと仲が良いの?悪いの?
ユダヤ教とか、宗教は分かりにくいことばかりですが、ニュースで耳にするイスラエルより、ジヴァが導いてくれた方がはるかに身近に感じられます。
でも、だから「ジバの本棚」にしたわけではなく(笑)
「じっちゃんとばっちゃんの本棚」を簡単にしただけなんです。
普通は、自分のニックネームを考えてつけるんだと思います。だけど、この、何年もほったらかしていたブログを再開する目的は、わたしを売り込むことではありません。年をとっても読みたいと思う本を作りたい! その目標に合わせた名前です。
自分では、シニアだなんて思っていないのですが、「はっ!?誰のこと」って思っているのですが、なんせシニアに片足つっこんでるので、ブログ書くなんて青息吐息。わからないことだらけです。でも、前進あるのみ、move on。がんばります。
ちなみに、過去ログで今の気分に合わないものは、随分削除したのですが、少し残したものの行く末は、ただいま考慮中です。お気になさらないでください。