読書には集中力が必要なんです
息子が子どもだった頃、こんな会話をすることがありました。
「ごはん、まだぁ~?」
「ごめん。もうじき読み終わるから。そしたら用意するから。ちょっと待ってて」
だって、夢中になって読んでる本を、途中で投げ出したり出来ませんよね? それが、推理小説だったりしたら、なおさら止められません。事件を解決しなくちゃならないじゃないですか!?
こんな母親に育てられ、本を読むことが日常風景だった息子は、ちゃんと活字を読む人に成長しました。好きなジャンルが違うので、貸し借りはなかなか成立しませんが、椎名誠さんのエッセイなんかは二人とも気に入って、あれこれ話をしていました。
その息子が10代後半だったかな、相変わらず一心不乱に本を見つめているわたしに、感心したような声でかけた言葉があります。
「ようそんだけ集中して読めるなあ~」
「ちゃうし。ほん読むのに集中力なんかいらへんよ…?」
おもしろいことを言うなあと思ったので覚えています。
読書なんて、好きだから楽しいから没頭できるのであって、集中力なんていう能力は関係ないと考えていたのです。
でも、シニアになった母は謝ります。間違っていました。
読書には集中力が必要です。はい。
脳のキャパシティが少なくなっているんじゃないかなと思うんですが、どうでしょう? 本を読み続けていると、なんだか頭がフワフワしてくるというかポワポワしてくるというか、言葉が入ってこなくなるんです。
それと老眼ですよね。目がクチャクチャしてボワーっとしてくる。
このフワフワポワポワクチャクチャボワーを乗り越えて読書するためには、集中力が必要になってくるんです。ひょっとしたら、集中力が低下したから読むことが続けられなくなったと言えるのかもしれません。
わたしは今、まだ、新しい推理小説やエッセイを楽しんでいます。昔のようなスピードでは読めませんし、一冊読み終わらないと寝れない、なんてこともありませんが、まだ読めます。
でもそのうち、文庫本を辛く思う時が、必ずきます。
その時、読みたいのは「昔好きだった本」なんです。
あらすじも登場人物も分かっているので、フワフワ脳でも大丈夫なはずです。途中で寝てしまっても、なんの問題もありません。年齢を重ねたからこその新しい発見があるかも知れません。
ボワーっと目のために、少し大きめな字にするのは絶対です。
海外の児童書が多いのですが、大人も読める文に訳した本が欲しいのです。
でも、本屋さんでは見つからないので、自分で作れないのかと考えて、とりあえず、このブログを始めています。
望むところに行けるかどうか、わかりませんが、集中力で(?)がんばります。